【能登半島地震から1年半】私たち家族が「当事者」だった理由とは?

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tekowaです。

2024年1月1日に発生した能登半島地震から、今日で1年半が経ちました。

私たちの家族は被災地には住んでいませんでしたが、「当事者」でした。あの日からの出来事は、今でも鮮明に思い出せます。

「大丈夫だよ」の後に、音信不通

地震が起きた元旦、本来であれば私たちも帰省する予定でした。しかし、当時は次女がまだ幼く、帰省を見送っていたのです。

揺れを感じた直後、ニュースで「能登」という文字を見て、すぐに夫の兄弟家族に連絡を取りました。最初は「大丈夫だよ」と返信がありました。しかし、それを最後に連絡が取れなくなりました。

テレビには大規模な火災の映像。夫はそれを無言で見つめ続けていました。

命がけで現地に入ったジャーナリスト

数日経っても、音信不通は続きました。

その中で、あるジャーナリストが危険を冒して現地入りしてくれました。そして、その映像の中に夫の親族の姿を見つけたのです。生きていた――その事実に胸を撫で下ろしました。

無線電話の真相と錯綜する情報

少しして自衛隊が入り、現地の状況が徐々に明らかになってきました。帰省していた方々からの救助が進み、ようやく夫の兄弟家族とも連絡がつき、「全員無事」と確認が取れました。

その頃、ネット上では「自衛隊が無線電話を置いていった」「無線電話で連絡がついた」など、さまざまな情報が錯綜していました。

のちにわかったのは、その地域は海沿いで、船を持っていた方が偶然無線電話を所持していて、善意で貸し出してくれていたという事実でした。

「情報の錯綜」はこうして起こるのだと、身をもって体験しました。

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