なぜ長崎にも原爆が落とされたのか?理由と被害をわかりやすく解説

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tekowaです。

長崎にも落とされた理由とは?

1945年8月9日。日本の長崎(ながさき)という町に、2つ目の原子爆弾が落とされました。広島の原爆からわずか3日後。なぜまた原爆が落とされたのか、その理由や当時の様子をやさしく解説していきます。

1. 1945年8月9日、長崎に原爆が落ちた

午前11時2分ごろ、アメリカの飛行機「ボックスカー」から「ファットマン」と呼ばれる原爆が長崎に落とされました。広島の「リトルボーイ」とはちがうタイプの爆弾でした。

この爆発で、長崎の町は大きなダメージを受け、たくさんの命がうばわれました。

2. なぜ2回も原爆が落とされたの?

広島に原爆が落とされたあとも、日本はすぐに戦争を終わらせることができませんでした。アメリカは「もう1発落とせば、日本は降参するはずだ」と考えていたのです。

また、広島とはちがうタイプの原爆もテストしたいという思いもありました。それが、2つ目の原爆「ファットマン」が使われた理由のひとつです。

3. 長崎の原爆はどんなタイプ?

広島の原爆はウラン型、長崎の原爆はプルトニウム型です。プルトニウムはウランよりも爆発力が強く、より多くのエネルギーを出しました。

爆発の力は広島より強力でしたが、地形のちがいにより被害の広がり方は少し異なりました。

4. なぜ長崎に落とされたの?

実は、長崎は最初の目標ではありませんでした。もともとは「小倉(こくら)」という町がねらわれていましたが、当日は天気が悪く、目標がよく見えなかったため、飛行機は長崎に向かいました。

こうして、長崎に原爆が落とされることになったのです。たまたま条件がそろったことで、運命が変わってしまいました。

5. 長崎で起きたこと

原爆は、長崎市の「浦上(うらかみ)地区」という場所の上空で爆発しました。キリスト教の信者が多くすんでいた地域でもあり、大きな教会もありました。

爆発によって、浦上天主堂という教会はこわれ、周辺の住宅も焼けました。多くの人が亡くなり、生き残った人も重いやけどや放射線の影響に苦しむことになりました。

6. 広島と長崎のちがい

どちらもとても大きな被害でしたが、いくつかのちがいがあります。

  • 爆弾のタイプ:広島はウラン型、長崎はプルトニウム型
  • 町の地形:長崎は山にかこまれていたため、爆風の広がり方にちがいがあった
  • 被害者数:広島の方が多くの人が亡くなったが、長崎もとても大きな被害だった

どちらの町でも、多くの人が一瞬にして命をうばわれたことは、決して変わりません。

7. なぜこの事実を伝えるの?

「なぜ2回も落とされたの?」「もっと早く戦争を終わらせられなかったの?」と考える人も多いでしょう。

でも、いま大切なのは、この事実を「知ること」「考えること」「話すこと」です。

そうすれば、二度と同じことが起こらないように、みんなで努力することができます。

8. まとめ|命をうばう爆弾は、もういらない

長崎にも原爆が落とされたことで、日本はまもなく戦争を終わらせる決断をします。

でもその前に、広島と長崎でたくさんの命がうばわれました。

この悲しい歴史をくり返さないために、原爆のこと、長崎のことを知ることが、とても大切なのです。


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→ 第4弾「終戦記念日ってなに?戦争が終わった日」へつづく

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