こんにちは、tekowaです。
本日の青空レストランでは、名古屋コーチンが取り上げられます。ブランド鶏として有名ですが、具体的にどのような鶏なのでしょうか?調べてみました!
名古屋コーチンとは
品種としての特徴
名古屋コーチンは卵をよく産み、肉もおいしいことから、「卵肉兼用種」に分類されています。「名古屋コーチン」という呼称で広く知られていますが、正式な品種名は「名古屋種」といいます。
昭和27(1952)年に日本養鶏協会で発行された家禽標準に示された名古屋コーチン(名古屋種)の形態的特徴は以下のとおりです。
鶏冠(とさか)は鮮赤色で単冠、眼は赤栗色を示し、耳朶(じだ)は鮮赤色、嘴(くちばし)は淡黄褐色、脚は鉛色(灰色)である。羽色はバフ色(淡い黄褐色)を基調とし、雄は羽色がやや赤味が強く、尾羽は緑黒色を呈する。雌は体羽のほとんどがバフ色で、一部に尾羽の先端が黒色を呈するものがある。
肉の特徴
鶏肉用に飼育される名古屋コーチンの20週齢の体重は、雄で2.7~3.0kg、雌で2.0~2.4kgとなります。出荷される日齢はおおむね120~150日ですが、オスの方がメスより早く出荷される傾向があります。
名古屋コーチンの肉質は弾力に富み、よくしまって歯ごたえがあり、「こく」のある旨みがあります。昔ながらの「かしわ肉」の味が楽しめます。
卵の特徴
採卵用に飼育される名古屋コーチンが一年間に産む卵の数は約250個(産卵率約70%)です。
名古屋コーチンの卵は美しい桜色をした卵殻が特徴です。卵の中には白い斑点が付いているものも見られます。
卵はやや小ぶりですが、卵黄の色は濃く、舌触りは滑らかで、味は濃厚で「こく」のある美味しさがあります。
基準
確認方法
県が供給する名古屋コーチン及びその鶏卵肉は、次に掲げる方法により確認が得られるものである
こと。
1) 別表に掲げる名古屋種の外形上の特徴
2) 愛知県及び独立行政法人農業生物資源研究所が共同で開発した DNA 識別法(名古屋コーチンの識別法(特許公開番号 2007-236298))による DNA 検査
引用:名古屋コーチンとは | 一般社団法人 名古屋コーチン協会 (nagoya-cochin.jp)
名古屋コーチンの歴史
おいしい鶏の代表「名古屋コーチン」は、明治維新で禄を失った尾張藩士、海部壮平・正秀兄弟の血のにじむような努力の結果から生み出された傑作です。
日本の近代養鶏史の第一ページを飾る国産実用品種第一号に認定された「名古屋コーチン」は、明治時代から昭和30年代までの養鶏産業の発展とともに活躍してきました。しかしながら、昭和37年以降、外国鶏の輸入が始まると、「名古屋コーチン」は激減し、種の絶滅という大きな危機を迎えましたが、地鶏肉の生産という新たな展開からその危機を乗り越えて、再び活躍の場を取り戻しました。現在では、全国の鶏の中で最も知名度が高いブランド地鶏として幅広く定着し、多くの人々から愛されています。明治時代前後の尾張の養鶏
江戸時代後半の日本では、闘鶏用のシャモや愛玩用のチャボを飼う人はあっても、現在のように卵や肉を目的とした養鶏はほとんどありませんでした。ところが尾張藩では、当時から武士の内職として卵や肉を売るために鶏が飼われていました。
明治維新後も、尾張藩では職を失った士族の転業を支援するための各種講習の中に養鶏部門があったこともあり、養鶏を始める藩士が多くいました。そのため、尾張のサムライ養鶏は当時かなり有名でありました。海部兄弟と名古屋コーチン誕生
名古屋コーチンの生みの親とされる海部壮平・正秀の兄弟もこうした旧尾張藩士のサムライ養鶏家でした。明治15年頃、海部兄弟は清国(現中国)から輸入された九斤(バフコーチン)は体が大きく多産で、強健で温順であることを聞き、これを入手し、尾張地方の地鶏と交配して新たな鶏を作出しました。その後、この鶏は粗食に耐えてよく育ち、肉質、産卵能力が極めて良く、強健で温厚であるという長所を兼ね備えていたことから、評判となり、「薄毛」または「海部鶏」と称されるようになりました。名古屋コーチンの発展
明治23年頃、都市養鶏の利点に目をつけた尾張藩出身の人達は京都、大阪を中心に進出して養鶏場を開き、愛知県から持って行った「薄毛」を大いに広めました。「薄毛」は明治30年頃までには名古屋地方から来た鶏ということで「名古屋コーチン」と呼ばれて評判となり、その名が定着されました。品種としての名古屋コーチンの確立
海部兄弟が中心となって続けられていた名古屋コーチンの育種改良は、明治36年から愛知県が担うようになりました。そして、改良された名古屋コーチンは明治38年に日本家禽協会から国産実用品種第一号の鶏として正式に認定されました。
名古屋コーチンは卵を生産した後も食肉としても利用できる卵肉兼用の実用鶏として全国的に飼育され、明治時代から昭和30年代までの養鶏産業の振興に大きく貢献していきました。名古屋コーチン絶滅の危機
昭和37年以降、採卵専用、肥育専用に改良された外国産の種鶏(親鶏)が輸入されると、養鶏場で飼育される鶏は大量生産に適した外国鶏へと変わっていきました。そのような状況下、名古屋コーチンは次第に活躍の場を失い、絶滅寸前まで追い込まれていきました。肉用鶏としての改良と名古屋コーチンの普及活動
昭和40年代に入り、昔ながらの「かしわ肉」の味を求められるようになり、名古屋コーチンが再び注目され始めました。これを受け、養鶏家、処理場、ふ化業者、料理店等の協力のもと、名古屋市農業センターにおいて名古屋コーチンの種鶏の確保、普及方法の研究といった復活の取組みが始まりました。愛知県も名古屋コーチンの大型化に向けた改良を手がけ、鶏肉生産用の「肉用名古屋コーチン」を作出し、供給を開始しました。そして昭和56年に名古屋コーチン普及協会が設立され、28年間生産から販売に至る組織つくりを行い、会員数70社余となり、各種イベントに参加、特に愛知万博では90日間愛知県パビリオンで名古屋コーチンの普及活動を行い、知名度を一段と高めました。こうして、地鶏肉の生産で養鶏産業に再び現れた名古屋コーチンは、当時のグルメ志向、本物志向も相まって生産羽数が急増し、「かしわの王様」として再び脚光を浴びるようになりました。卵用鶏としての改良
名古屋コーチンが肉用鶏として復活すると、桜色の特色ある卵殻に、「こく」のある味わいをもつ卵にも注目されるようになり、愛知県は新たに産卵能力に重視した名古屋コーチンの改良に着手しました。改良の末、卵殻の桜色が鮮やかで濃い卵をよく産む、採卵用の「卵用名古屋コーチン」が作出され、平成12年から供給されています。名古屋コーチンの供給
引用:名古屋コーチンとは | 一般社団法人 名古屋コーチン協会 (nagoya-cochin.jp)
名古屋コーチンを管理している愛知県から供給された種鶏(親鶏)を使って、名古屋市農業センターと県内5ヶ所の民間孵化場が「肉用名古屋コーチン」と「卵用名古屋コーチン」の優良ひなを生産し、生産者に供給しています。生産された肉や卵は、鶏卵肉販売店、百貨店、大手スーパー等を通じて販売されたり、加工食品等に調理して販売されたり、もしくは専門料理店で料理されたりして、消費者の皆様に届けられています。
名古屋コーチンの魅力まとめ
- 名古屋コーチンは卵をよく産み、肉もおいしい「卵肉兼用種」
- 名古屋コーチンの肉質は弾力に富み、よくしまって歯ごたえがあり、「こく」のある旨みが特徴。
- 名古屋コーチンの肉は、昔ながらの「かしわ肉」の味が楽しめる。
- 名古屋コーチンの卵はやや小ぶりだが、卵黄の色は濃く、舌触りは滑らかで、味は濃厚で「こく」のある美味しさがある。
- 名古屋コーチンの生みの親・海部兄弟は、清国(現中国)から輸入された九斤(バフコーチン)(体が大きく多産で、強健で温順であるという特徴がある)と尾張地方の地鶏と交配して新たな鶏を作出した。
この交配種が粗食に耐えてよく育ち、肉質、産卵能力が極めて良く、強健で温厚であるという長所を兼ね備えていたことから、評判となり、「薄毛」または「海部鶏」と称されるようになった。
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